日神子のブログ(ヤフーから)

2005年からのヤフーブログを移行(14年間の色々な話が懐かしい^^ )

幸福 (しあわせ) の観念

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人はよく 幸福になりたい と言います

私は おもわず あなたにとっての幸福とは何ですか ?
と聞きたくなります

いろんな答えが帰ってきますが・・・

私にとっての幸福は 私自身のほんとに心の底からあり難い 幸せだと
感じる事は
●激痛がないこと
 激痛を抱えたまま暮らしていかないといけない なんて言うのは
  私には耐えられないと思う

●恐ろしい状態でないこと
 恐怖の中で生活しなければいけないなんて 私には耐えられないと思う

私にとって 絶対に辛くて嫌だと思う事は この2点なのです
ですから 激痛がなくて 恐怖もない 
身体のどこも痛くなく 恐ろしいという環境でもない

もうこれだけで 私は なんと幸福なんだろう と感謝の気持ちが湧いてくるのです

私は 若いときに  末期ガンの方の看病を手伝ったことがあります
そのときの 患者の方の苦しみ ご家族の方の苦しみをそばで体験することになりまして
辛い 辛い思いをしました 激痛の苦しみ・・・ 

あるとき テレビで鬼のようなサラ金業者に取り立てられているという
放送をみました 老夫婦の方が 追いつめられて心中してしまったそうです
どれだけ 恐怖感と絶望の中で居ただろうかと思うと 胸が締め付けられるようでした。

●私は 激痛がない  日々身体の健康に注意しているので 元気である
●私は 恐怖の中ではなく 平安と安心の中で暮らしている

もう これだけで 私は なんと幸福なんだろうと思うのです

こんなに幸福なのに そのうえに 私は
日々の食事もちゃんとできる 
食べたいと思う物は買って来て 美味しいと感じながら 食べる事ができる 
なんと素晴らしい

雨露しのげる住まいもある  仕事もある

もう 素晴らしい 素晴らしい ・・・  と 私は感謝の気持ちで両手を伸ばして
おもわず 神様 ありがとうございます と自宅の部屋で叫んだりします

ときどき 万歳ダンスをしたりします (●^o^●)

考えてみると 変なおばさんです
誰もいない一人の部屋で 幸せいっぱいの顔をして 両手を伸ばして
喜んだりしているのですから・・・

ごちそうや 贅沢や 豪邸や 大金が 幸福ではないのです 私の場合は・・・
食べ過ぎるとしんどいし 豪邸は維持管理に大変だし 持って死ねる訳ではないし
(持って死ねる訳ではないと 昔の人はよく話していました その通りですね)


激痛がない 恐怖がない これが私の幸福の観念 幸福の定理なのです
まあ まとめと言いますと 平安と安心の状態・・・ が私の幸福なのです
シンプルなものです


※ 幸福の観念は 人によって違うかもしれません

恋人がいることが幸福という人もいるかもしれないし
  贅沢な生活が幸福という人がいるかもしれない
  私に言わせていただくと そんなことは 人生の中の単なる感動の一つのシーンであって
  一過性のもの・・・
  単なる体験の一つである