日神子のブログ(ヤフーから)

2005年からのヤフーブログを移行(14年間の色々な話が懐かしい^^ )

倫理観を 倫理感と表示した理由があります (倫理感が期待できない ) (^^ゞ

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「りんりかんを きたい できない」 という声が聞こえたときに

りんりかん ? きたいできない ?  って

どういう意味だろう  とまず思いました

りんりかんの りんりというのは 倫理のことだろうか と思い

最近は倫理などという言葉はあまり使う人もおりませんし
そんなことが通じる 世の中とかけ離れているような気もしました

しかし とりあえず 辞書できちんと調べてみましようと

りんりかん と打って 変換しましたら 倫理観 と出ました

しかし 私の心は 観 のところ (観る 悟る)の次元ではなく
 感性の部分の欠如の  ことだろう

倫理かんを期待できない   は  
倫理感の欠如を指しているような気がしました


正義に対する感性  正義感のように まずその感性の部分・・・

やがては 悟りの 観に到達するとしても まず 
感性が期待できないと いうことのような気がしました

本来ならば 倫理観と書くべきだったかもしれませんが
倫理に対する感覚のことを いっているような気がしましたので


あえて 倫理感と書きました  

倫理観が備わるところまで 到達している人は どれだけいるでしようか

倫理感のレベルならば ・・・・  まあ・・・


「穢れを祓って 清く正しく生きて
世のため 人の為に生きましょう」
これは 神社などで よく教わる言葉です
大好きな 言葉です


※ アメブロで 倫理観の字のことでコメントを
  いただきましたので こちらでもご説明を・・・  (^^ゞ