日神子のブログ(ヤフーから)

2005年からのヤフーブログを移行(14年間の色々な話が懐かしい^^ )

自信と責任感と ある覚悟も持って生きているので・・・

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ここまで 生きてくると ・・・
若いときに 悩んだり 苦しんだりしたことをあまり
思い出す事がありません

ときどき 思い出して・・・  あーー あんなことがあったな~
どうしてあんなに 辛かったのだろうか?

やっぱり いろんな法則的なことが無知だったからだろうな ~ と
思います

人間関係でも 人はこうでなければならないとか
心の中でいろんな戦いをしていたような気もします

恋愛についても 苦しいという感覚も経験しましたが
今思うと 恋愛の愛は 一種の迷いのようなもので
真実の愛ではないということが わかります
煩悩そのものである ということも・・・

愛とは 無条件のものである ということを若いときに教えられても
無条件なんて考えられない  ・・・ と反論したものです

しかし 条件付きの愛は ほんとの愛ではない ということが
今はわかります  条件付きの愛は自分にとって都合が良いから
自己中心の愛なので 一種の欲望なのですね

今は 恋愛などというものには 全然 興味もなく 男性そのものにも
興味がない

男性であれ 女性であれ その人が かもし出している雰囲気には
いろんなことを感じます 人類愛 慈愛 友愛 ・・・ 色々・・・

さて  ・・・
何を言いたかったかと いいますと

ときどき  人が話す 悪口や ひどい表現の言葉に傷ついたという
お話を聞くのですが

私は ・・・ 最近の 晩秋に入っている私は
悪口などは 「へ」ともないのです  (●^o^●)

へともないって 変な表現ですが
人は そこに居ない人のうわさ話や 悪口を話すのは 普通の
よくある出来事だと 昔教えられましたので

そうか~ 人はそこに居合わせない人のことや うわさ話をするのは
よくあることなんだ と考えるようになりました

そして 人のうわさ話よりは 自分自身が 自分の真実を一番よく
知っているのですから 自分の言葉 想念 行動に神経を
使う方に努力をするようになりました

いつの間にか 気がつくと 自分の事がとても好きになっていましたから
他人が話す 悪口や言いたい放題の言葉も ・・・
目の前で言われた場合は 反論したほうが良い場合は 反論しますが
聞こえてこないときは 全然気にしなくなりました


私は 反論するときは びしゃっと 本音で言いますから
何を考えているかが 相手の方に伝わります
反論というよりは 意思表示というほうが正しいかもしれません

人のうわさ話や 悪口を気にして生きていると 自分の本音て生きる事が
難しくなります

人のうわさ話や 悪口で悩んでいらっしゃる方が いらっしゃいましたら
人の口には戸は建てられない そうですから

気にしないで 自分自身を清らかに 誠実に 正しい行いをして暮す
努力をすることに力を注ぎましょう

そうすると やがて 自信がついて 責任感も出て
人の悪口など 私みたいに へとも思わなくなりますよ  きっと・・・

多分・・・ (●^o^●)