悲しい話とか 胸が痛い話はあまりしないのです
私は 自分の人生を振り返ると
若いときのことなど よく考えないと どんなだったかな? と
あまり思い出せないのですが・・・
それほど 時間が過ぎてる から ( そうなんです 年なんです (^^ゞ )
最近思うことは
私は 胸が つまりそうになるほど 悲しくても
あまり顔に出さない・・・ 人には 話さない・・・
そんな人間になっています。
だから それほど悲しくないのか ? と言いますと
そうではないのですよ
人以上に感性が強い人間ですから 胸は ジンジン 痛むのですが
それは 私の問題であって
私と出会う人たちには 関係のないことですから(迷惑かもしれませんから)
そんな感情を出さないようにしている・・・
と言うことなんです
私の母のことが 浮かぶのですが
今は亡き母ですが・・
私が若い時
私の母は 私の顔色などを とても気にしていて
私が悲しんでいると 母も 落ち込む 悲しむ
私が嬉しそうにしていると 母もとても嬉しそうにしている
と そういう人でしたので いつの間にか
人は大事な人からの影響をもろに受けてしまうから
人にどんな雰囲気を与えるかということは 気をつけておいたほうが
いいわね~ と・・・思うようになりました
なので
私はだいたい 個人的には いろんなことが起きていても
人と接するときは 平安 平常心を維持するようにしています
すると 不思議なもので 私自身もいつの間にか
平安の私 そのものに なっているのです
起きている物事の感性 感覚は そのことを意識して考えるまでは
私は平安 平常心のままでいることができます
が
悲しい出来事などがあって そのことを考え始めると
悲しいときには 悲しく 胸が切なくなったりするのです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何を 言いたいかと いいますと・・・
実は マリン君が 帰ってこなくなってから
ドアを開けると そこに居るのではないか ? とか
苦しい思いは無かっただろうか ? とか
もう 会えない とか・・・ 考えると・・・色々と 涙も出たり・・・
しかし 神様の はからいでしょうか ?
マイ 一人オーリングテストで 聞いてみますと
マリン君は 幸せだったし 苦しんでいない と反応しますので
あーー 良かった と 少し ほっとするのです (*^_^*)
先入観や 期待の気持ちの反応かも しれませんが
そんな反応なので 安心して 元気を取り戻すことが できます
★
一番 言いたいことは ここからなのですが・・・
生命あるものが この世で 自分以外の生命と関わって
生きていた時
さよならの時が 訪れると ほんとに寂しいものですね
昔読んだ詩の中に
「人生における 最大の悲しみは 死による別れである」
という 詩があったのですが
ほんとに そうですね
この世では もう会えない というのは 切ないものです
生命ある時間を 大切にして 充実させて生きていたい
生命ある物を
生命ある間 は
悔いの無いように 今後も いたわり合って生きようと思う
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ご縁があった人々や もちろん ペットたちも
会っている時 関わっている時
そのときが最後のときかもしれないと思って 応対しなさい という
文章を読んだことが ありますが
ほんとに その通りだと思います
いじめたり 喧嘩したり して そのときが この世の最後だった場合
この世での 仲直りは もう出来ないのですから・・・
※
さて 今日は土曜日
今度の連休は マンションの空室の用事で
忙しくなりそうです
エアコンも 取り替えて リフォームの手配もして・・・
転勤で 東京に引っ越されたのですが・・・
また 良い人が借りてくれますように・・・ ヽ(^。^)ノ
若いときのことなど よく考えないと どんなだったかな? と
あまり思い出せないのですが・・・
それほど 時間が過ぎてる から ( そうなんです 年なんです (^^ゞ )
最近思うことは
私は 胸が つまりそうになるほど 悲しくても
あまり顔に出さない・・・ 人には 話さない・・・
そんな人間になっています。
だから それほど悲しくないのか ? と言いますと
そうではないのですよ
人以上に感性が強い人間ですから 胸は ジンジン 痛むのですが
それは 私の問題であって
私と出会う人たちには 関係のないことですから(迷惑かもしれませんから)
そんな感情を出さないようにしている・・・
と言うことなんです
私の母のことが 浮かぶのですが
今は亡き母ですが・・
私が若い時
私の母は 私の顔色などを とても気にしていて
私が悲しんでいると 母も 落ち込む 悲しむ
私が嬉しそうにしていると 母もとても嬉しそうにしている
と そういう人でしたので いつの間にか
人は大事な人からの影響をもろに受けてしまうから
人にどんな雰囲気を与えるかということは 気をつけておいたほうが
いいわね~ と・・・思うようになりました
なので
私はだいたい 個人的には いろんなことが起きていても
人と接するときは 平安 平常心を維持するようにしています
すると 不思議なもので 私自身もいつの間にか
平安の私 そのものに なっているのです
起きている物事の感性 感覚は そのことを意識して考えるまでは
私は平安 平常心のままでいることができます
が
悲しい出来事などがあって そのことを考え始めると
悲しいときには 悲しく 胸が切なくなったりするのです
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何を 言いたいかと いいますと・・・
実は マリン君が 帰ってこなくなってから
ドアを開けると そこに居るのではないか ? とか
苦しい思いは無かっただろうか ? とか
もう 会えない とか・・・ 考えると・・・色々と 涙も出たり・・・
しかし 神様の はからいでしょうか ?
マイ 一人オーリングテストで 聞いてみますと
マリン君は 幸せだったし 苦しんでいない と反応しますので
あーー 良かった と 少し ほっとするのです (*^_^*)
先入観や 期待の気持ちの反応かも しれませんが
そんな反応なので 安心して 元気を取り戻すことが できます
★
一番 言いたいことは ここからなのですが・・・
生命あるものが この世で 自分以外の生命と関わって
生きていた時
さよならの時が 訪れると ほんとに寂しいものですね
昔読んだ詩の中に
「人生における 最大の悲しみは 死による別れである」
という 詩があったのですが
ほんとに そうですね
この世では もう会えない というのは 切ないものです
生命ある時間を 大切にして 充実させて生きていたい
生命ある物を
生命ある間 は
悔いの無いように 今後も いたわり合って生きようと思う
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ご縁があった人々や もちろん ペットたちも
会っている時 関わっている時
そのときが最後のときかもしれないと思って 応対しなさい という
文章を読んだことが ありますが
ほんとに その通りだと思います
いじめたり 喧嘩したり して そのときが この世の最後だった場合
この世での 仲直りは もう出来ないのですから・・・
※
さて 今日は土曜日
今度の連休は マンションの空室の用事で
忙しくなりそうです
エアコンも 取り替えて リフォームの手配もして・・・
転勤で 東京に引っ越されたのですが・・・
また 良い人が借りてくれますように・・・ ヽ(^。^)ノ