日神子のブログ(ヤフーから)

2005年からのヤフーブログを移行(14年間の色々な話が懐かしい^^ )

悲しい話とか 胸が痛い話はあまりしないのです

私は 自分の人生を振り返ると

若いときのことなど よく考えないと どんなだったかな?  と
あまり思い出せないのですが・・・

それほど 時間が過ぎてる から ( そうなんです 年なんです (^^ゞ )


最近思うことは

私は 胸が つまりそうになるほど 悲しくても
あまり顔に出さない・・・  人には 話さない・・・

そんな人間になっています。

だから それほど悲しくないのか ?  と言いますと
そうではないのですよ


人以上に感性が強い人間ですから 胸は ジンジン 痛むのですが
それは 私の問題であって

私と出会う人たちには 関係のないことですから(迷惑かもしれませんから)
そんな感情を出さないようにしている・・・
と言うことなんです


私の母のことが 浮かぶのですが 

今は亡き母ですが・・
私が若い時

私の母は 私の顔色などを とても気にしていて
私が悲しんでいると  母も 落ち込む 悲しむ

私が嬉しそうにしていると 母もとても嬉しそうにしている

と そういう人でしたので  いつの間にか
人は大事な人からの影響をもろに受けてしまうから

人にどんな雰囲気を与えるかということは 気をつけておいたほうが
いいわね~  と・・・思うようになりました


イメージ 1


なので 
私はだいたい 個人的には いろんなことが起きていても
人と接するときは 平安 平常心を維持するようにしています

すると 不思議なもので 私自身もいつの間にか
平安の私 そのものに なっているのです

起きている物事の感性  感覚は そのことを意識して考えるまでは
私は平安 平常心のままでいることができます


悲しい出来事などがあって そのことを考え始めると
悲しいときには 悲しく 胸が切なくなったりするのです

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何を 言いたいかと いいますと・・・
実は マリン君が 帰ってこなくなってから
ドアを開けると そこに居るのではないか ?  とか
苦しい思いは無かっただろうか ?  とか 

もう 会えない  とか・・・  考えると・・・色々と 涙も出たり・・・


しかし 神様の はからいでしょうか ?

マイ 一人オーリングテストで 聞いてみますと
マリン君は 幸せだったし 苦しんでいない と反応しますので
あーー  良かった と 少し ほっとするのです (*^_^*)


先入観や 期待の気持ちの反応かも しれませんが
そんな反応なので 安心して 元気を取り戻すことが できます



一番 言いたいことは ここからなのですが・・・
生命あるものが  この世で 自分以外の生命と関わって
生きていた時

さよならの時が 訪れると ほんとに寂しいものですね

昔読んだ詩の中に

「人生における 最大の悲しみは 死による別れである」
という 詩があったのですが
ほんとに そうですね

この世では もう会えない というのは 切ないものです

生命ある時間を 大切にして 充実させて生きていたい

生命ある物を 
生命ある間 は  

悔いの無いように 今後も いたわり合って生きようと思う

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ご縁があった人々や もちろん ペットたちも
会っている時  関わっている時

そのときが最後のときかもしれないと思って 応対しなさい という
文章を読んだことが ありますが

ほんとに その通りだと思います

いじめたり 喧嘩したり  して  そのときが この世の最後だった場合

この世での 仲直りは もう出来ないのですから・・・


さて  今日は土曜日 

今度の連休は マンションの空室の用事で
忙しくなりそうです
エアコンも 取り替えて リフォームの手配もして・・・

転勤で 東京に引っ越されたのですが・・・
また 良い人が借りてくれますように・・・ ヽ(^。^)ノ