日神子のブログ(ヤフーから)

2005年からのヤフーブログを移行(14年間の色々な話が懐かしい^^ )

神の眼で観ると・・・

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「鍛錬である、 訓練ともいう ・・・」

という 男性の太い声が 耳元でしたことがあった

ある日の明け方 ソファーに横になって うとうとしているとき
初めて 不思議な声を聞いた

それは何年ぐらい前だったか 思い出せないが 10年くらいも前だったかも
しれない・・・  もしかしたら 8年くらい 前 ?

私は 人間関係の難しさに 思い悩んでいるとき そんな声を聞いた

鍛錬である などという 言い方をする人は私の周りにはいない
神様だろうか? 守護霊様だろうか ? と ・・・

しかし この声を聞いてからは 
私は たいていのことには 勉強なのかもしれないと思って 逃げる事無く
前向きに対応するようになった気がする

そうとう 嫌だな と思う事でも これは私の修行なのかもしれない
と考えるようになりました

お話は 省略して・・・

それでも 人生は 望まない出来事などが起きてきたりします

これは 自分の我が強くなるほど 好みでない状況も起きてきたりします
例えば 自分では避けたい「おつきあい」とか なども そのひとつ

苦労というほど つらいことではなく すべて 順調であっても
人間には  自我の気持ちが強いですから

自我が強く出たときは かんしゃくを起こしそうになったりします

・・・・


昨日の朝  ふと ・・・  

「神の眼で観る・・・」という言葉が浮かんできました

ああーー  そうなのかもしれない  

自我の気持ちに気づいたら  自我を捨てて 

神の眼で物事や 人間関係を観たらどうなるだろう 
どんな対応になるのだろう ?

どんな 行動になるのだろう ?

そんな ことが 浮かんできました

神なら どうするか 好みでない人が現れた時 神ならどうするのか

好みでない 状況に置かれたら  神ならどうするか どう感じるのか?

これが 私の次のテーマなんだろうか ?