日神子のブログ(ヤフーから)

2005年からのヤフーブログを移行(14年間の色々な話が懐かしい^^ )

人生勉強です

人の人生を 見ていると(ごめんなさいね 変な表現で)

自分自身にとっても 大変 勉強になることがあります

先日 ある方が  ・・・・

(その方は最近 何をしていいか どう過ごしていいか わからない状態のようなのですが)

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私との会話で 

お話が 単発的なお話で 会話とは程遠いのですが

突然  「私 死ぬのかしら?」   と 私に尋ねるのです

何を根拠に 突然そんな質問するのか?   の 意味もわかりませんので


「死は 人生の一部なので 誰でも その時が来たら死にます」 
(ほんとのことを すばっと いってしまいました)

が 
死に方が 問題だと私は思うのですが  なぜ そう思うのですか
死にたくないのですか ?  と尋ねて しまいました


この方が どうしてそんな 不安な気持ちになっているかは
私には この方の今までの 思考傾向 行動などを 考えると
なんとなく 理解できるのですが

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周りがすべて 自分のために 動いてくれていた

ところが 最近は 周りの友人も離れてしまって 
クチャ寝を続けて ご自身は 認知症的になっていて
判断力が なくなってきている 


だから 自分が何を どう したら良いのか わからない
どうなるんだろう?  という 意識状態で もんもんとしている・・・
という雰囲気なのです

(定年退職後ですがまだまだ 若いのです) 



これはもう 親族の方と親密に 対応を考えられたほうが良いと
思うのですが 親族に対しては 気に入らないと 怒鳴りつけますから
親族も 逃げ腰になって ますます 孤独に
アドバイスは 全く聞き入れませんので 対応できない


なにしろ  なんでもがめんどくさい ということで
自分でしようとしない
ただ しんどい どうしよう というだけ  怠け者?・・・

食べて 寝ているだけが 多い とか


今まで何度も アドバイスさせていただきましたが
まったく 聞く耳を 持ちませんし  甘えたいだけでは
私もどうしようもありません 

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私は 親族ではありませんので 余計なことはできませんから
医療関係の問題になってきますから

やはり親族でないと 対応が難しい・・・


私は 自分も こんなことにならないように
晩年の 老後の先の先まで だいたい こんなふうにしようと
計画を立てています
(その通りになるとはわかりませんが 努力しています(^○^))



私の親族には

突然 私がこれこれの状態になったら こうしてほしいとか
私の 少しの遺産は こうしてほしいとか・・・(^○^)

ネコたちは こうしてほしいとか・・・

しかし 
できるだけネコたちも 私が見送ってから 私がこの世を去りたい
と考えていますから 健康にも 経済的にも いろんな角度から

心配のいらないような 努力をして過ごしています

親族とも 世話になるかもしれませんから 仲良くしています (^^ゞ

生きていく上で
幸せと感じるのは  人様のお役に立てた時
 であり
誰かのために  とか 何か(猫たちも入る 花なども入る)  のためにとか

私がいないと 困る 人や物や いろんな出来事が あると
健康で 頑張って生きようと 努力します

今の私は そうです



今 置かれている 環境 で ベストを尽くそうとします

そうすると とても忙しいので 

うつ的な状態になっている暇もありませんし
時間がほしい~~   という 状態です



生きるとは ?    又  死ぬ とは ?

ということについても 若い頃から 勉強してきましたから
死ぬことも怖くありませんし

ネコの世話がなければ 今 死んでも構わないのです (^^ゞ


なんか 変なお話になってしまいましたが

哲学的な 勉強も無く 楽なことだけを 選択して生きると
晩年 辛いかも しれませんね~


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人のお役に立つということは 何か 大きな ことを するということではなく

笑顔で 人々に おはようヽ(^。^)ノ というだけでも 
その笑顔で
幸せに感じる人々がいるのですから 


人のお役に立っている ということなんです


寝たきりの 老人であっても 意識があって 
今日のご飯 美味しかったよ ありがとう  と 言うだけでも

介護している人は うれしく感じて 幸せになるのです

色々な困難と見えることは
人々に 愛を出す チャンスを 提供している 宇宙の計らいかも・・・

そして お世話になった結果  
ありがとう 助かったよの 一言のお礼で

お世話した方が  あ 良かった と幸せに感じるというのも
人のお役にたっている ことなのです
愛のエネルギーを 放出している ということなのです

それが 愛なのですね

と 私は 思っているのです


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※ ネコ部屋に おねしょ猫のコバンちゃんが 増えましたから
  私はこの猫を 見届けるまで 死ぬわけにいかないかも・・・

   こんな おねしょ猫は 誰も飼ってくれないだろろうと思うから

   もしもの時は ちゃんと世話するように 遺言書書いておこうかな
                  (●^ o^●)